ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015があった(65)。蜷川が4月7日にカンヌに到着してみると、日本から軍医2名が参加することになっていた。壁島海軍軍医少監と名和陸軍一等軍医である。医師・看護婦などによる専門部会で種々の協議がなされている。花柳病、児童保健、結核、マラリア、看護、予防医学の6部門に大別して、分科を設けて、委員を配している。壁島委員は結核、マラリア、花柳病、予防医学を、名和委員は児童保健と看護を受け持った。アメリカ赤十字は会議終結の日に、「赤十字社連盟」案を提出し、5大国赤十字代表の審議に付している。朝より夜の11時まで種々議論して、大体の案がまとまったと報告されている。連盟の経費として必要な額は年間に500万円程度と見積もっており、3ヵ年はアメリカ赤十字が経費負担し、以降、5大国と4小国で分担することが考えられている(66)。3月29日に「赤十字国際評論」に掲載された論文をウィルソンをはじめとする各国の全権に送付したと書いたが、その後しばらくして、蜷川は在パリの日本陸軍部委員事務室の某軍人より、新たに国際連盟規約中に赤十字事項が加えられるに至ったことを聞かされる。自分の熱心な主張が、特にウィルソン初め、アメリカ人を動かし、目的を達したことを喜んだと書いている。但し、このことは彼の日記には書かれていない。4月12日、蜷川は条約を必要とする理由を書き記してデヴィソンに送った。新条約でなくとも、改定でも良い、と譲歩している。このことから察すると、蜷川が国際連盟規約に赤十字関係の第25条が書き加えられたことを知ったのは、随分後になってからである。蜷川は、4月12日の段階でも、「赤十字社連盟」の法律上の性質について疑問だと考えている。アメリカ赤十字の人々は、ことごとく経済で物を考え、法律のことを解さない。赤十字事業を実行しさえすればよいと言うが、結局のところ国際条約で平時に赤十字事業を、他国内に行いうることを規定する必要があるのだと言明している。最初の連盟規約によれば、外交官が会議に出席すればすむような話になっている。赤十字は政治上の色彩を帯びないという主旨からすれば、各国赤十字社は2年ごとに開催される連盟の会議に代表を派遣して、事業を進める。そのためにも国際条約で「赤十字社連盟」の性格付けをしておく必要があると考えていた。戦時における傷病者救護というような「簡単な人道問題」ではなく、外交上、経済政策上、移民政策上にも関係深く、大変重要な問題なのだと主張している。世界各地で起こる大規模災害における、国家主権の観点から、国際支援を正面からは受け入れないという問題との符合を見ることができる。戦時の国際人道支援を規定するジュネーブ条約に対して、2004年のインドネシアのスマトラ沖の地震・津波災害など大規模ないわゆる自然災害や新型インフルエンザのようなパンデミックあるいはHIV/AIDS、マラリア、結核、あるいは昨今のエボラ出血熱などの感染症に対する国際支援に関わる国際災害対応法を志向するものと同じ発想と考えても良いのではないか。4月13日、デヴィソンは大統領に対して、ICRCは、講和条約発効後6ヵ月後に、赤十字国際会議を開催すると言っている。イギリスとフランスはドイツが同じテーブルに座るような会議には参加しないと、強行な意見をもっているからである。各社の平時活動推進を延期できない状況にある。「赤十字社連盟(The League of Red Cross Societies)」の名称で赤十字の新しい組織を設置したいと考える。自分が会長となる。事務総長には大統領顧問のレーン(Lane)を任用したいと思うが如何か、とカンヌから照会している。4月13日にカンヌからパリに向かった蜷川は翌日午前中に到着するや、日本大使館から、日本赤十字社と陸軍大臣宛てに、赤十字社連盟設立についての電報を打つ。4月15日に永井大佐と面164人道研究ジャーナルVol. 4, 2015