ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015して、共同して人道事業を行うということにならない状態にある。蜷川は「60年前のジュネーブ条約と従来の赤十字同盟との関係と、新たに国際連盟規約と赤十字社連盟との関係は、法理上全く同様である。自分のこれまでの努力は、国際連盟規約第25条があるために、合法正当である。国際連盟は、実際、世論によって成立したものであるから、赤十字社連盟が世論に反するということはありえない、と発言している。アドール以下、これを聞いて「首を傾けて敬服した。他の人々も一言もなかった。会見はこれにて閉ざされ」、ICRCの幹部は、自分たちの抗議の筋違いを覚え、静かにジュネーブに引き上げたと報告している。その頃の蜷川の見るところ、ICRCは、スイス人のみで構成され、財政も豊でない。したがって、大きな活動もできない。今後、赤十字社連盟は列国の人士をもって組織し、多大な資本を擁し、不断に活動するので、赤十字の中心は、赤十字社連盟に移行するのは必然である、と考えていた(68)。5月5日に、ホテル・レジナに5大国赤十字会議が開かれる。5大国赤十字社の代表によって、赤十字社連盟規約と附則に代表が署名し、交換し、ここに平時事業の世界的人道機関が成立した。(69日本側に手交されたこの文書を探しだした経緯は、先に発表した拙論)に明らかにしたとおりである。会長にデヴィソン、事務総長にイギリスのサー・ダヴィッド・ヘンダーソンを選出。総書記長には、ICRCの委員でジュネーブ大学の経済学教授ウィリアム・E .ラッパールを推薦し、さらにイギリスの提案でアメリカ大統領の義弟のストックトン・アクソンを実務上の総書記長とすることが決定された。蜷川はこの連盟の理事に就任した。アメリカ赤十字からこの日、25万ドルが当座資金として拠出された。後年、各国赤十字社から拠出された場合には、アメリカからの拠出金を還付するということになるとされていた。5月9日ホテル・リッツに、アメリカの主催で、50数名の参加者を得て、赤十字社連盟成立報告会が開かれた。この時、蜷川は初め英語で、半ばからはフランス語で簡単に演説とあり、「もし日本語ならば、雄弁を振るわんものを」と締めくくっている。「今日の国際会議には、大国の日本人として出場するは、決して楽な事にあらず。見物気分を以って、欧米の会議に列するは、禁物であることを世の人に注意する。」(70)と書く。赤十字社連盟の事務局は国際連盟の本部と同じ場所に設置することとなり、ジュネーブということになる。国際連盟は当初、ベルギーのブラッセルに置くという案があったが、4月13日にスイス連邦政府の大統領ギュスターブ・アドールがアメリカ大統領ウィルソンに直談判して、ジュネーブに置くことを決意させた。4月17日付けでウィルソンからアドール宛に返事が出されている。赤十字社連盟発足後の蜷川の主張蜷川は、5月11日付けで、「国際連盟と赤十字社連盟」(71)と題する論文を書き、「国際赤十字評論」に原稿を送る。この原稿は6月号に掲載された。蜷川はこれら2つの新しい賞賛に値する機関(国際連盟と赤十字社連盟)には、取り決めを行い、付け加えなければならない問題点が残されているという。具体的には、赤十字の平時事業という新しい分野のための要員、物資および必要な施設についての詳細な協定を作る必要があると主張する。彼は自説に固執する。法律家の真骨頂ともいえる。淡白な日本人に珍しく、執拗に問題を指摘し続ける。例えば伝染病や災害が生じている国で、外国人が医療活動を行うことを禁じる法律があるとすれば、赤十字はそこで救援を行う166人道研究ジャーナルVol. 4, 2015