ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015本日正午大地震起リ、引続キ大火災トナリ、全市火ノ海ト化シ、死傷者何萬ナルヲ知ラズ。交通、通信機関不通、水、食料ナシ。至急救援ヲ乞フ。この無線電信を受けとった大阪府警察部では、国を揺るがす重大事態だとして直ちに知事、各部長等に電話で急報するとともに警察幹部を参集し、翌2日中に東京方面に出航予定の船を調査した。一方で日本郵船、大阪商船、尼崎汽船などの幹部に会い、今後の救援事業に当たることを要望した。そこで取りあえずの措置として、大阪商船のシカゴ丸、扇海丸の2隻を臨時に東京方面に出航してもらうこととし、第1次救援物資輸送の準備を整えたのである。さらに大阪府知事、内務部長、産業部長等も翌朝2日午前6時に登庁し、救援方法を審議し、大阪府庁内に「臨時震災救護部」を設置し各部の分掌を定めた。輸送、現場配給、救護については内務部、物資の購入、調達については産業部、通信連絡については警察部と分担を決めた(9)。警察部では、さっそく潮岬無線電信局を通じて横浜港内に停泊していたコリア丸と無線電信を行い、横浜の状況をさらに概略知ることができた。この無線が数日後、途絶えた後も、陸軍航空隊に情報の託送を頼むとか、海軍艦船の無線を使うとか工夫を凝らし、情報が途絶えるのを防いだ(10)。産業部では、これと並行して穀物など同業者組合の幹部の参集を求め、物資の調達を行った。先ず応急食料品として9月2日に、たくあん、梅干し、氷を調達しシカゴ丸、扇海丸に積み込んだ。この日、前述のように所沢飛行場を飛び立ち、大阪府の城東練兵場に着陸した陸軍の飛行機に載った砲兵中尉・波多野赳夫が、内務次官と社会局長官の信書を携えて来て、大阪府知事のもとに届けた。その信書には、「東京ノ大半、殆ント烏有ニ帰シ・・・非常ニ大規模ノ救護ヲ要スル見込ニシテ、衛生材料食糧等ヲ多数ニ要スヘキヲ以テ・・・予メ準備シ、充分ノ計画ヲ立テ置カレタシ・・・付近各地方長官(注・府県知事のこと)ニモ、右ノ趣旨伝達セラレタシ」と書かれていた(11)。この信書を受け、翌9月3日には、ハルピン丸が米を、駆逐艦・川風が大量の野菜を載せ、大阪港を出航し、9月4日には、アンデス丸が精米と缶詰を、戦艦・扶桑が医療・救護材料を載せ出航し、横浜港、芝浦港にこれらを送った。その後も艦船による横浜港、芝浦港への物資の輸送は続いた。また当時、大阪の5つの倉庫に保管されていた政府米50万8,600俵を、9月4日以降9月13日までに他の物資に優先して東京、横浜に輸送した(12)。さらに9月2日、大阪府内務部では会計課長・佐野利平理事官を、警察部では坂本行輔警部などを、東京市・横浜市へ派遣し、両市に「大阪府臨時震災救護部」の「出張所」を設け、現地での災害情報の収集や救援活動の調整に当たらせた(13)。また同日、大阪市でも前述のシカゴ丸に、有田助役など10人が乗船し、東京、横浜両市などとの連絡などに当たることにした(14)。東京出張所主任の佐野理事官は、9月4日、内務大臣官邸に設置された「臨時震災救護事務局」を訪れ、内務次官・塚本清治、社会局長官・池田宏に会い、大阪府の救護班の行動、横浜の罹災状況などを詳しく報告し、次いで東京府庁に行きその旨を伝え、そこで「状況報告書」を作成し、大阪府知事に送った(15)。9月7日に送られた佐野理事官の報告には、以下のような横浜の深刻な状況が記されていた。横浜市ハ戒厳令ヲ布カレタルモ東京市ノ如ク陸海軍ヲ以テ救護品ノ陸揚配給ニ従事セザル為輸送176人道研究ジャーナルVol. 4, 2015