ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015字社でも、揺るがず存在していた。関西府県聯合は、副次的な立場でそれを支援したに過ぎない。しかし、関東大震災は、直下型の大地震であり、被害は都市化された地域に集中し、しかも多数の死傷者や建物被害は、火災によるものが多かった。それに対し、今後予想される東南海トラフ巨大地震、巨大なマグマ噴火、超巨大台風などについては、中央防災会議などでは、もっと広範囲の災害も想定がなされているようだ。しかも、今回の東日本大地震、広島の土砂災害、御嶽山噴火などで経験したように、大災害は、途方もない規模で、油断している処に襲って来る。確かに現在は、関東大震災発災当時と比べると、交通・通信機能、流通機能、災害装備などは格段に進歩し、また、医療救護の内容、医療技術・医療機器、薬剤、衛生材料などの水準なども、当時と雲泥の差があろう。それでも技術には限界があり、関東大震災の時のように中枢機能が災害により麻痺しかねない状況が絶対にないという保証はない。大災害の頻発するわが国に住む以上、あらゆる場合を想定し、危機に対処する覚悟を決め、予め対処しなければならないであろう。特に日赤本社が、関東大震災時のように被災した場合の対策について、現行の対策の見直しも必要ではないかと、筆者は考えている(50)。この研究ノートは、短期間に筆者が単独でまとめたものであり、また、紙幅の関係もあり、当時の救援活動の概況を述べたに過ぎないが、今後、多くの専門家によって、さらに共同研究が進められる端緒の一つになり、わが国の大規模災害対策の一助となれば幸甚である。参考文献(1)「河村誠一日記」大正12年9月4日の記載による『日本赤十字社八十年小史』P..33(2)原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』講談社1996年第1章なお、ここでいう「大阪」は、単なる行政区画としての大阪府、大阪市ではなく、いわゆる「大大阪」と称する地域である。この呼称は、大正14年の大阪市の市域大拡張後に使われたものように理解されていることが多いが、『大阪遷都論』の著者・木崎愛吉などは、既に大正7年頃からこの呼称を使っていた。その範囲は大阪府域を超え阪神地区の一部をも包括していた。(3)『赤十字の旗なにわに百年』日本赤十字社大阪府支部平成元年p.255~275(4)大阪府編『関東地方震災救援誌』大正13年12月(5)1920年代のこの時期は、交通、通信などの未発達により、現在では簡単に行ける地域でも多大な時間と経費がかかり、西日本から見ると東京、横浜などを含む関東大震災の被災地域は、遥かな「遠隔地」であった。なお、九州地区などの日赤支部は、主として東京で行動していた。南北に長い日本列島では、「遠隔地からの救援」が必要な場合が、現在でも絶えずあり得る。(6)鈴木淳『関東大震災-消防・医療・ボランティアから検証する』ちくま新書2004年(7)北原糸子『関東大震災の社会史』朝日新聞出版2011年(8)大阪府編『関東地方震災救援誌』p.1(9)大阪府編『関東地方震災救援誌』p.3(10)同上p.8(11)同上p.7(12)同上p.58~59, p.47~48(13)同上p.4(14)同上p.543(15)同上p.366(16)同上p.152(17)同上p.154~155(18)同上p.163~164(19)『大正12年関東大震災日本赤十字社救護誌』日本赤十字社大正14年8月p.67(20)『日本赤十字社八十年小史』日本赤十字社昭和32年11月p.28(21)『日本赤十字社中央病院七十年史』日本赤十字社中央病院昭和31年p.32(22)鈴木淳『関東大震災-消防・医療・ボランティアから検証する』p.157なお、本書も関東大震災の被災者救護活動についての記述が多い。(23)前掲『関東大震災救護誌』p.431(24)『日本赤十字社社史稿第4巻』日本赤十字社昭和32年11月p.272186人道研究ジャーナルVol. 4, 2015