ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 20151945年(昭和20)の原子爆弾投下で「福済寺」はすべて焼失しましたが、その後修復され、原爆犠牲者の霊も祀られています。1628年(寛永5年)建立の国宝のひとつで、当時長崎で最も大きい寺院だった当時の模型が長崎歴史文化博物館に展示されています。ぜひ一度訪れてみませんか。長崎歴史文化博物館一緒に旅をしていた吉川龍子さんが、下の絵画の行列の中に佐野常民さんが居ることを教えて下さいました。長崎海軍伝習所の様子を描いたものです。「虫めがねが必要ね!」と冗談を言いながら、幕末期の志士たちと同じ空気を吸っていた佐野常民さんの息吹を感じ取ろうと目を近づけます。当時、長崎の地で海外の知識をむさぼるように学んだ若者たちの一人であった佐野さん。彼は適塾で医学を学び、師であった伊東玄木先生長崎海軍伝習所絵図が宝物のように持っていたズーフの教科書を「質」に入れ、そのお金でお酒を飲んで破門になりかけたというエピソードがありますが、それはともかく、医師としての素地のある佐野さんだったからこそ、今から150年前のパリ万博で赤十字展示に立ち寄り、「敵味方なく救う」という、「医者の倫理」に触れた時の佐野さんの衝撃は大きかったはずだ、と赤十字の諸先輩方から教えて頂いたことがあります。佐野さんと長崎の西洋医学との出会いがなければ、日本に赤十字がもたらされるのは、ずっと後だったかも?などと勝手に思いを巡らせながら、時間が経つのも忘れ、見応えのある博物館の隅々を観覧しました。シーボルト記念館フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)記念館「鳴滝塾」の写真や模型は、意外と小さな日本の民家であり、畳の上で教鞭を取ったことが判りました。医師として出島で開業し、地元の人々に頼られ、全国から集まった日本の若者に愛された人としてのシーボルトに親しみを感じます。彼と日本人女性の間に生まれ、宮内庁の奥医師として召し抱えられたことのある楠本イネさんの写真も展示されていました。上記の長崎海軍伝習所の一部であった長崎医学伝習所(その後の長崎医学校)でポンペやボードウィンから直接西洋医学の講義を受けた、日本女医の先駆けとして知られています。平成14年に開催された日本女医会創設100周年記念式典での皇后陛下のお言葉の中で彼女の名が出てきます。今年発売の「皇后陛下慈しみ」(日本赤十字社発行)に掲載されたお言葉で触れられており、同本の製作に携わった私は、思わずイネさんの写真に見入ってしまいました。庭の椅子に深く腰を掛け、着物の袖をまくり上げて、片手に持つ本を読んでいます。意志の強さと賢さが伝わってくる若い侍のような雰囲気が印象的で、今まで見たイネさんの写真の中で、一番好きな一枚です。国外追放後、再来日を許されたシーボルトは、オランダ貿易会社顧問として長男のアレク200人道研究ジャーナルVol. 4, 2015