ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015崩し、1年後に20歳の若さで亡くなったそうです。被爆直後に現地入りした看護婦の命をも奪った核兵器の威力を思い知らされます。列車は原爆が落とされた8月9日の午後、少なくとも4本が運行し、数千人を諫早や大村に輸送しました。この救援列車は爆心地を南北に縦断する蒸気機関車で、原爆投下の後は線路が分断された状態でした。そのような状況の中、列車を動かすために奔走した人たちがいたことに感動を覚えます。前頁右下の写真は、同じく道ノ尾駅前で、負傷者の手当をする当時19歳であった西久保キクノさん。終戦後は結婚して県立病院で働き、婦長も務められました。しかし、終戦から21年してご長男を白血病で亡くされた西久保さんは、長年自分を責めつつ、救護員としての活動に悔いは無い、と年月が経ってから、思えるようになったそうです。これらは従軍カメラマンの山端庸介さんによる撮影です。彼が撮影した膨大な量の写真の中には、赤十字の救護員の姿が所々に登場します。これら資料は、日赤の活動を知るうえで大変重要な役割を果たすものであると考えます。1994年8月のNHKの追跡により、この看護婦たちは、日赤佐賀県支部で結成された、「日赤第713救護班」だということが判明しました。NHKの追跡力には、いつもビックリさせられます。番組制作をされる素晴らしいスタッフの使命感と執念の賜物でしょう。戦後70周年来年2015年の秋、4年に一度の赤十字国際会議(189カ国の赤十字関係者と政府関係者2000人以上が一堂に会する赤十字の最高決議機関)がジュネーブで開かれ、国際赤十字赤新月社連盟会長である近衞忠煇社長がICRC総裁と共に壇上の席につかれます。近衞氏のリーダーシップの下、連盟総会やICRC代表者会議などで核兵器に関することが各国赤十字社の発言の中で上がる予定であり、赤十字国際会議においても実現すべく各国間で交渉が続いています。<今回の旅について>日赤看護大学の元図書司書、「佐野常民」著者であり、今、原爆投下直後の従軍看護婦に関する研究者の吉川龍子さんと、元ICRC東京事務職員であり、現在イギリスの大学院で、戦時下の日赤救護員と、捕虜の処遇等について研究中の鈴木路子さんの3人で、長崎を旅しました。限られた時間の中で上記の場所に足を運び、カステラや角煮まんなどにお腹と心を満たされつつ、時間がたつのを忘れて資料館や図書館の書物を読みふけり、それぞれの学びを語り合う、素晴らしい時間でした。赤十字の活動は、知れば知るほど奥が深く、その時代を読み解くカギになります。戦争中、繰り広げられる理不尽な行為の下、また災害時に、人の命や尊厳を救うべく奔走する人々の姿は、時を経てなお輝きを放つものであり、発見があるたびに感動を覚えます。これらは人類の教訓を後に伝える貴重な財産ですので、管理保存する責任は今赤十字に身を置く私たちにあると考えます。これらの史実を保存し、研究し、公表することが、現在の赤十字活動のさらなる発展につながることを信じています。このたびの寄稿について背中を押して下さり、またアドバイスを頂いた諸先輩方に心から御礼申し上げます。人道研究ジャーナルVol. 4, 2015203