ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015特別寄稿赤十字国際委員会で過ごした35年:追想と秘話ヴィンセント・ニコ1二千年越しの日本の知恵「二千年の日本の知恵が私たちに教えてくれたことを、変えようとしてはいけませんよ」日本赤十字社の粉川さんはそう言って、私たちの議論に決着をつけたのでした。結局私たちは、住居である避難小屋を日光から守る一方で、周辺のジャングルへの景色を遮るすだれを下ろしたままにしました。もう約35年も前の出来事です。1980年代前半、ベトナムの「ランドピープル」と呼ばれる難民を収容するために、タイとカンボジアの国境に作られたNW9キャンプに私たちはいました。当時、海路でベトナムを脱出する人々(「ボートピープル」)の存在はよく知られていましたが、こうしてカンボジアを経由し、陸路で避難する「ランドピープル」はより困難な状況を強いられていたのです。庇護国での受け入れを待つ間、彼らは国境の緩衝地帯で、ジャングルに囲まれたこの質素なキャンプにc Naoki KOKAWA1980年、タイにて。カンボジア難民支援に従事する保護されていました。彼らの安全を確保するために、若き日の日本赤十字社国際部国際支援統括監粉川直樹赤十字国際委員会(ICRC)は毎日24時間態勢でキャ氏とヴィンセント・ニコ氏ンプで活動を行っていました。職員二人がワンセットで、週数回勤務のシフト制です。日中はキャンプで離散家族の追跡調査を行っていました。これは、既に国外に移住した親族がいる難民にとって、とりわけ重要な活動でした。なぜなら、国外の親族に連絡をとり、彼らと再会することだけが、「ランドピープル」がキャンプを離れる唯一の方法だったからです。日本赤十字社をはじめとした赤十字社は、トイレや水道システム、診療所、食料配給場所の確保など、コミュニティのインフラ整備を担っていました。国境地帯に配属された日本赤十字社のチームのリーダーであった粉川さんは、赤十字社の代表としてNW9に勤務する数少ないうちの一人でした。国境で戦闘を行っていたクメール勢力の様々な派閥の武装集団による衝突や、地域に存在していたベトナムの砲兵隊からの散発的な爆撃があったため、事務所としての機能も果たしていたICRC職員の住居は、砂袋で覆われた避難小屋の中にありました。窓はもちろんありません。気温も湿度も高いジャングル地帯だったため、室内の暑さは耐え難いものでした。風通しも悪く、電気も1赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表人道研究ジャーナルVol. 4, 201527