ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015無線を充電するためだけに小さな発電機が数時間稼働するのみです。そこに住んでいた赤十字関係者にとって、無線だけが外部との通信手段でした。水も配給されて限られていたため、シャワーを浴びることは贅沢行為。キャンプに暮らす「ランドピープル」との連帯を示すため、職員も質素な食事をとっていました。もちろん、飲酒などとんでもありません。言うまでもありませんが、当時はテレビや携帯電話、衛星通信、コンピューターはなかったので、電子メールやインターネット、フェイスブック、ツイッターなども存在しません。ICRCからは午後6時以降の外出禁止令が出されていて、日中は戦闘が止んでいれば解除される、といった具合でした。タイ王国陸軍から派遣された特別部隊「80」が、私たちのキャンプを含む国境地帯の治安確保を担っていました。そのため、私たちの自由時間の過ごし方は、もっぱら四方山話。粉川さんは秋の紅葉や、熊や鹿が自由に歩き回る北海道の寒い冬、「ナマビール」と「エダマメ」、寿司や刺身の味など、日本についてたくさんの話をしてくれました。私は夢中になって聞き入ったものです。日本人は床に布団を敷いて寝て、家に入るときに靴を脱ぐ、ということも彼から教わりました。当時の私の想像たるや、日本人の女性は皆友達と緑茶を飲みに出掛けるときにカラフルな着物をまとい、男性は全員力士になることを夢見て日本酒を浴びるほど飲むのだと思っていました。一方で私も、粉川さんに故郷のスイスの話をしました。スイスは小さな国で、日本の寿司に代わるものがチーズであるということ。また、白ワインの豊かな味や、私の村の近くのラヴォー地区では、湖に向かって下りる斜面にぶどう畑が広がる様子など、さまざまな話題で盛り上がりました。そんなこともあり、粉川さんは今でも、スイス人が常にチーズとチョコレートを食べていて、1972年の札幌オリンピックであれほど多くの金メダルを獲得したのもスキーで学校に通っているため、と信じて疑わないかもしれません。NW9キャンプは比較的状況が安定していたので、私たちは避難小屋の前に設置したベランダで時を過ごすこともありました。ある日曜の午後、粉川さんが以前発注したすだれを私が上げて換気しようとしたところ、彼が止めに入りました。すだれを下げておけば日光が遮られて、避難小屋の内部が暑くならないと彼は言うのです。そこで、息苦しくても日陰にいるのと、太陽の下で焼け焦げながらもジャングルから吹くそよ風を受けるのでは、どちらが心地よいかという議論が始まりました。最終的に、粉川さんは冒頭のように議論をまとめたのです。「私たち日本人は日光を遮るために、すだれを発明しました。そして、うちわというもの使って、自ら風を吹かせるのです。二千年の日本の知恵が私たちに教えてくれたことを、変えようとしてはいけませんよ」。真面目な話をすると、ICRCで35年間キャリアを積み、20ヵ国を渡り歩きましたが、初めての現場経験がこのミッションでした。二千年の日本の知恵に加えて、残虐な武力紛争が生む苦しみと、命の脆さを教わりました。命は一つの銃弾や榴散弾、手榴弾、なたによって、たった一瞬のうちに奪われてしまいます。負傷した農民の男性を日本赤十字社の医療チームのいるカオイダンのICRC病院まで運んでいたとき、地雷で足を失った彼が元の生活に戻れるまでどれほどの時間を要し、苦痛にさいなまれるのか、考えさせられました。また、略奪目的でうろつき回る兵士から28人道研究ジャーナルVol. 4, 2015