ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015翌年にはマンデラ氏の釈放5周年を記念して、政府がロベン島で記念式典を開くことになりました。友人から「マディバ」と呼ばれていたマンデラ氏は、このロベン島の小さな独房で27年間獄中生活を送ります。私たちは側近のアーメッド・カトラダ氏を通じて、マンデラ氏からとある要請を受けました。それは、ICRCが過去に訪問した被拘束者を数人、式典のパーティーに招待したいので、プレトリアのICRC追跡調査チームから彼らの所在を聞きたいというものでした。ICRCがその要請を拒否したことに、カトラダ氏は大変驚いていました。私たちは、アパルトヘイト政権の下、政治的な理由で拘束された人が全員招待されるのでなければ、必要な名前と住所のリストを提供しないと訴えたのです。カトラダ氏は、それはあまりに費用がかかり、ロジ面を考えるだけでもまるで悪夢だと返答してきました。そこで私たちは、南アフリカ軍に協力を要請してみればどうかと提案しました。彼らであれば、大きな災害に対応するかのごとく、国内のあらゆる場所からロベン島に大規模な人的移動を実現することができる、と考えたのです。マンデラ氏はこの案を気に入り、必要な指令を出しました。結果、軍は飛行機、ヘリコプター、船、トラック、医療チームやロジ面での支援を提供し、巨大なパーティーの運営を手伝ってくれたのです。紛争中に彼ら軍が拘束した何千もの人々は来賓として迎えられ、食事と宿泊設備が与えられました。このとき、ロベン島の式典に招待されたICRC副総裁のモレーヨンは、若き職員だった頃、拘束されていたマンデラ氏を何度も訪れていたため、二人はカメラの前で当時の訪問の様子を再現しました。誰一人として立ち合いのいない個人面談です。その様子を撮影しようとしたジャーナリストは、そこで気づきました。実際の独房は、「被拘束者」のマンデラ氏と「職員」のモレーヨン、カメラマンの三人が入れないほど小さかったのです。よりリアルに再現するため、私たちは刑務所では見つけることが難しいはしごを探し出しました。はしごを鉄格子に見立てて、カメラマンがまるで鉄格子の外から二人の様子を取っているかのように演出したのです。宴が終わり、マンデラ氏の警備が刑務所を離れた後、私はひとりその場に残りました。彼の独房を静かに眺めながら、あれほど長期にわたった監獄生活にもかかわらず、寛大な笑顔で出所したマンデラ氏の道徳的、肉体的強さを実感したものです。そしてその時、突然廊下から物音が聞こえ、振り返るとマンデラ大統領が立っていました。彼もまたひとりで、自身が暮らした独房にやってきたのです。先客がいたことに彼は私と同じくらい驚き、名前を聞いてきました。プレトリアを担当するICRC職員だと自己紹介すると、ICRCが過去に彼とその友人たちに行った支援活動について、大きな笑顔で感謝してくれました。そして彼は、自分がここにいることは誰にも言わないでくれ、と私に頼んできました。彼は警備を逃れて、自身が青年期から辿ってきた、アパルトヘイトとの戦い、獄中生活、そして彼が愛する国の大統領になるまでの道を静かに振り返り、ひとり思い出に浸っていたのです。私はそれ以上何も言うことができず、物思いに耽る彼を残して出てきました。警備に見つかる前に刑務所を直ちに離れ、副総裁の元へ戻ろうとしたのですが、一人の警備員に止められて、マンデラ大統領を目撃したか質問されました。私は少し躊躇した後、自身の独房で感慨に浸るマンデラ氏を思い出し、見ていないと答えました。警備員はため息をつき、大統領が友人たちと一緒に釈放5人道研究ジャーナルVol. 4, 201533