ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015韓国赤十字の看護教育1920年~2014年李玉哲1, BSN, MPH, PhD大韓赤十字看護短期大学の前身、赤十字看護師養成所は、1920年に上海にあった大韓民国臨時政府の下で設置された。日本占領下では、日本赤十字社朝鮮支部の養成所として引き継がれ、韓国独立後は韓国赤十字社の関連施設となった。2020年に100周年を迎える予定であり、2014年の2月までに7,971名の卒業生を輩出してきた。卒業生の中には、3名のフローレンス・ナイチンゲール章受章者、大学病院の副院長、看護部長、大学教授、官吏や学校長等、国内外で主導的な役割を担っている人々がいる。2011年11月7日には、中央大学(CAU)との合併により、中央大学赤十字看護部として生まれ変わった。同学部は学部、修士、博士コースを有する、トップクラスかつ最大級の看護大学になることを目指している。1.看護大学の歴史1)看護教育の創世時代(1920 - 1945)(1)大韓帝国時代2における赤十字の創設と看護事業高宗初代大韓帝国皇帝は、最初の近代的な国立病院である廣濟院3に加えて、一般市民のための病院の必要性を感じていた。そこで1905年7月8日の皇帝の勅令により、西門外のDae-dongに赤十字病院が誕生した。その当時の看護婦長と5人の看護婦をどのように雇用したのかについてはわかっていない。同年10月27日に病院を支援するために韓国赤十字社を設立した。しかし赤十字社法には、看護師について言及されているにも関わらず、看護の養成機関はなかった。(2)上海の大韓民国臨時政府と看護教育日本による大韓帝国併合により、独立運動家たちは1919年4月13日に上海に大韓民国臨時政府を設立した。そして同年4月29日に韓国赤十字社が開設された。赤十字の社員が2,000人を超えたことから、医療活動を体系化することが計画された。翌年1月31日に上海のフランス租界に赤十字看護師養成所を開設した。この養成所の開設は独立戦争に向けた準備としての目的もあった。カリキュラムは3か月で週18時間。初年度は3人の男性と10人の女性が入学したが、全員が中等教育かもしくはそれ以上の学歴があった。臨床実習は上海紅十字病院もしくは上海市内の別の病院で行われた。生徒らは上海在住の韓国人に予防接種や治療を施した。しかしながら、財政的な問題と教員の不足により、その年しか卒業生を輩出することができなかった。1中央大学赤十字看護学部教授2訳者注1897年から1910年までの国号3訳者注1884年9月、韓国に来たアメリカ人宣教師アレン(HN Allen、1858-1932)は、1884年12月、政変で重傷を負った閔妃の甥ミンヨウンイクを治療しながら西洋医学の有効性を実証した。その結果、韓国初の西洋式病院である廣濟院が建てられ、すぐに済衆院に名前を変更した。現在のソウル国立大学病院の前身。80人道研究ジャーナルVol. 4, 2015