ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies

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概要

The Journal of Humanitarian Studies

Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 20154)実習時間数の規定などであった。これに先駆けて「臨床指導指針」、学生の「実習個人経験録」、患者の看護過程を中心にした「実習評価表」が作成され、活用された。日赤病院の建物は戦争により改築の機会を逸したために、その後の医療技術の進歩に即応せず、また老朽化して耐火基準を満たさない建物となっていた。そのため中央病院と産院を統合して日本赤十字社医療センターとし、新病院を建設することになった。1974年には短期大学の新校舎と学生寮が完成した。地上7階地下1階であり、講堂、体育館、プールなどの施設があった。また学生寮は地上10階建てで、旧教養所の寮の名称を踏襲し、養心寮と呼ばれた。つづいて1976年日本赤十字社医療センターが落成した。6.日本赤十字看護大学日本赤十字看護大学は1986年に認可を受けて、当時では国内では11番目に設置された4年制大学となった。大学への改組のために、日本赤十字女子専門学校を卒業し、米国コロンビア大学ティーチャーズカレッジで学んだ樋口康子を中心に、準備が進められた。大学教員の資格をもつ人材の育成から始め、日本の看護大学のモデルとなるカリキュラムをつくるべく、文部省への設置認可に向けた検討が行われた。短大時代まで代々、日本赤十字社医療センター大学建物前の広場でテントを組みたて、災害看護を学ぶの院長である医師が学長に就任しており、教授陣も学生c日本赤十字看護大学各診療科の教授を兼任していたが、これら教授らは大学改組を境に兼任講師となった。1994年には樋口康子が学長に就任し、以降、看護出身のものが学長を務めている。開設当初の看護大の定員は60名で、4年のうち2年間は全寮制で、その後の2年は自宅あるいは下宿先から通学した。「人間とは何か」を根底に、看護学を探究するカリキュラムが組まれ、人文、社会、自然の3分野の一般教育科目、赤十字科目、外国語科目を基盤として、医学関係の専門基礎科目、看護学の専門教育科目を学ぶ内容となっていた。看護師、保健師の国家試験受験の資格要件を満たし、選択制で6名が助産師の国家試験の受験資格を得ることができるコースを受けることができた。その後、入寮は希望者のみとなった。1996年には看護学部を男女共学制となり、1998年には3年次編入学制度が開始された。2000年には米国コロラド大学保健科学センター(看護学部)との学術協力促進に関する協定(姉妹校)を、2008年スウェーデン赤十字大学と看護教育及び研究・開発の協力関係を促進するために協定を締結し、学生交換を開始している。2005年、日本赤十字武蔵野短期大学と統合し、新しい「日本赤十字看護大学」となった。定員は140名となり、2006年には新しい校舎が竣工した。新校舎は4階建て東側建物と6階建ての南側建物の2棟からなり、4つの実習室、地下に13万冊収容可能な図書館、600人を収容することのできる大きな講堂(広尾ホール)ができた。カリキュラムは、建学の理念を基盤として幅広い教養と豊かな人間性のある人材育成のための基礎科目群のなかに赤十字関連科目や外国語、医学関係科目が含まれ、その上に看護学の専門的知識・人道研究ジャーナルVol. 4, 201591