ブックタイトル平成26年度「学校法人日本赤十字学園教育・研究及び奨学金基金」教育・研究事業報告書

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概要

平成26年度「学校法人日本赤十字学園教育・研究及び奨学金基金」教育・研究事業報告書

の仲介者としてスイスは役割を果たすようになった51。フランス革命と続くナポレオン戦争が与えた影響はスイスにとって非常に大きく、1798年にはフランス軍がスイスを占領、ヘルヴェティク共和国が樹立され、1803年に連邦制が復活するまで共和国は存続した52。もっとも、連邦制が復活しても、フランスとの関係は維持され、スイスの中立が復活するのは、国内的には1815年8月7日に連邦議会で承認された連邦協定であり、対外的には同年11月20日にスイスの中立に関する条約が締結したときであった53。1863年に誕生した赤十字は、スイスの人道支援へのかかわりの表れといえる54。もっとも、スイスには赤十字以外にも、万国電信連合、万国郵便連合、列国議会同盟、国際オリンピック連盟をはじめとして数々の国際機関が設置された。これは、スイスが中立国として中立国として評価され、また、中立国の資格がヨーロッパにおける平和、安定そして協力の権威をもって利用されていると、Tsachevskyは主張している55。第一次世界大戦中に、スイスは中立を守りとおすことができたが、戦争当事国との関係は、必ずしも完全に中立とはいえなかった。ドイツ語圏とフランス語圏は、それぞれドイツとフランスに親近感をもち、スイス国内では対立も生じた56。また、大戦中の外交文書が公開されると、スイスがオーストリアおよびフランスと密約を結んでいたことが判明した5 7。9 Ronald Weber, The Lisbon route: entry and escape in Nazi Europe本書は、第二次世界大戦中の中立国ポルトガルの首都リスボンが、難民や亡命者をいかに受け入れ、いかに第三国に出国させたかについて論じている。ポルトガルは伝統的にイギリスと同盟関係にあり、中立政策をとってはいても、イギリスとの友好な関係は続いた。もっとも、ポルトガルの位置の重要性は連合国側の中でも考慮され、たとえば、ポルトガルとスペインからなるイベリア半島経由でのヨーロッパ侵攻をアメリカが模索したこともあり58、ポルトガルの中立は結果的には守られたが、それが破られる可能性もあったといえる。ポルトガルの中立も、他の中立国の中立と同様、危うい部分を含んでいたが、本書はそのような状況で、いかに亡命者や難民がリスボンで支援をうけたかに焦点を当てている。たとえば、Unitarian Service Committee(ユニテリアン・サービス委員会:USC)という51 Ibid., 156.52 Ibid., 158.53 Ibid., 158-159.54 Ibid., 171.55 Ibid., 173.56 Ibid., 176.57 Ibid., 178.58 Weber, 200.78