ブックタイトル平成26年度「学校法人日本赤十字学園赤十字と看護・介護に関する研究助成」研究報告書

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概要

平成26年度「学校法人日本赤十字学園赤十字と看護・介護に関する研究助成」研究報告書

少ない状況になった。命を守るために、略奪されるままであったり自ら貴重品を提供したり、また救護班を離れ民間人の中に隠れて生活をする看護婦もいた。傷病兵を後送する際に、移動に耐えられない重症患者や同僚の看護婦を見捨てる(安楽死させる)という体験をしていた。敵の攻撃から退却する際に起きる不条理であり、命を救うことを使命とする日赤看護婦にとって辛い体験であったと考えられた。終戦後は国共内戦が始まり日本に帰還できなくなったこと、満州は厳寒の地であったことにより、看護婦は衣食住ともに困窮し栄養失調や発疹チフス・結核などの感染症に罹患し死亡したものも多かった。また、心身共に過酷な状況にあって精神の変調を来し自殺した看護婦もいた。ソ連軍兵士の女性に対する暴行は日本人だけでなく現地の女性住民にも向けられた。一方で、八路軍に留用された看護婦の回想録には性暴力は見られない。八路軍の場合、共産党による中国統一のためには支配地域の住民に共産主義を理解してもらう必要があり、そのためには八路軍兵士への信頼が必要であったからと考えられた。蒋介石直属軍に留用された看護婦は、短期間で留用が解除され、国民党を支援していたアメリカの海軍による帰還ができた。勤務地が南満州の奉天という大都市であったことも影響したと考えられた。しかしソ連軍だけでなく国民党軍の兵士からも暴行を受けた看護婦がいた。それまで敵国であった日本人を支配下に置いた時、長年の日本に対する恨みが弱い存在の女性に対する性的暴行として発生したとも考えられた。4八路軍(中国共産党軍)支配下での留用八路軍の有形無形の強制力、自分が犠牲になることで他の日本人を助けることができる、他にも留用された仲間がいたこと、人種や国籍が変わっても患者を前にした時に看護婦として見捨てることができなかったなどの多様な理由で看護婦は流用を受け入れた。抑留生活において、気持ちの支えになったのは、天皇の言葉(「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」)、赤十字精神(「彼我の別なく患者を救護する」「四方の国睦みはかりて救わなん幸なき人の幸を保つべし」)、婦人従軍歌であった。それゆえ、八路軍の中で行われた思想教育(共産主義教育)に苦痛や抵抗を感じた看護婦もいた。逆に、八路軍とともに生活をして、戦前の日本の教育の矛盾に気づいた看護婦もいた。自己の中にあった中国人に対する偏見・差別を反省し、人種を超えて相互理解の必要性を学んだ看護もいた。八路軍から脱走しようとして失敗し罰せられたり、その疑いをかけられたりして、自殺した看護婦もいた。そうした中、同じ境遇である日本人同士が結婚し家族ができたりしたことで、将来への希望を持つことが出来た看護婦もいたと考えられる。5帰国後に受けた偏見・差別や困難八路軍に留用され国共内戦の救護に従事した日赤看護婦は、1953年から1958年にかけて10数年ぶりに帰還した。やっとの思いで帰国したにもかかわらず「中共帰り」「共産主56