ブックタイトル平成26年度「学校法人日本赤十字学園赤十字と看護・介護に関する研究助成」研究報告書

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概要

平成26年度「学校法人日本赤十字学園赤十字と看護・介護に関する研究助成」研究報告書

だった。脱水が強い場合はリンゲルの大量皮下注射で補液を行った。食事係は口をうるおすためとお腹の痛みを和らげるためにと水筒にお湯をいれて渡して回った。外傷患者の傷口は化膿し、異様な臭気を漂わせていた。繃帯をはずすと蛆虫がわいており、ピンセットで取るより方法がなかった。医療品が不足すると繃帯の代わりに紙を代用、蛆虫に傷口を食べさせてからピンセットで取り除く「蛆虫療法」が行われた。手術は切断術が主であり、手術日には患者を4人、5人と担架で移送した。精神病棟もあり、特にインパール作戦後は凄惨な戦場で精神疾患を発症した患者が次々と入院した。以上の結果から、日赤の戦時衛生勤務は、あらかじめ人員材料、資金などの準備に基づくものであり、戦傷者を敵味方なく救護するという目的のため、平時から軍との取り決めのもと、安全ととともに輸送、医療材料、救護員の宿舎や食事などの兵站の提供に関して軍の協力を得て行うものであり、これらはかつて軍と日赤との互恵的な関係のもとに、戦争が起こるたびに経験をふまえて改良が加えられてきたものであったが、日露戦争以降、日赤の衛生支援は、制度的にもまた組織上も、軍の目的にそって戦争を遂行することを優先するよう改変されていったと考えられる。日赤は、衛生支援に関して軍に全面的に協力し、看護婦を速成養成し、さらに繰り上げ卒業を行って動員した。看護婦自身も個々の事情はあれども、日赤の看護婦であることを誇りに思い、召集に応じた。しかし熱帯地方特有の伝染病が多く発生する劣悪な衛生環境で、前線ではないはずの兵站病院が爆撃を受け、命の危険にさらされながら、大勢の栄養失調患者や傷病者の看護を行なわなければならなかった。医療材料は極度に不足し、自ら食糧確保にも努めた。救護員の質は低下し、海上輸送の危険や本土決戦の準備のため内地還送が困難となり補充交代もできなかった。そして非戦闘員でありながら救護員は死者行方不明者29名の犠牲者を出した。ビルマ戦による戦没者は約18万名といわれている。看護婦の犠牲もさることながら、そこには適切な医療さえ受けることができれば必要のなかった苦痛と避けられた死がたくさんあったと考える。(4)ビルマにおける日本赤十字社救護班の活動(2)-敗退にともなう衛生支援の変容に焦点をあてて-研究分担者川原由佳里(日本赤十字看護大学)本稿では前稿についで、ビルマでの日本軍の作戦及び敗退と衛生支援の時間的経過のもとに戦況悪化にともなう救護活動の変容を分析することが目的であった。ビルマでの作戦及び敗退の時期を1ビルマ侵攻作戦、2第一次アキャブ作戦、3第二次アキャブ作戦とインパール作戦、4イラワジ会戦から撤退までに区分して、ビルマの各地の兵站病院に配置された救護班がどのような救護活動を行ったかを記述した。以下では4の撤退直前の救護班の状況について結果の一部を紹介する。インパール作戦失敗後の兵站病院や救護班の動きは混乱のため複雑となった。第493救60