ブックタイトル平成26年度「学校法人日本赤十字学園赤十字と看護・介護に関する研究助成」研究報告書

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概要

平成26年度「学校法人日本赤十字学園赤十字と看護・介護に関する研究助成」研究報告書

13体験された出来事があった。それは否定的な感情・価値観とともに、参加者の内に残り続け、問われ続けた。【学生だった自分のまなざし】「悶々と引きずり」ながら問い続けたという土壌があるなかで「感想文を書く」という行為が、参加者の学生だった自分を浮き上がらせた。「感想文を結構日がたってから書いたんですよ。そしたら(中略)自分はどうだったかなとか、そういう自分のほうに振り返り初めて、じゃ、私も確かにこうふざけちゃった演習のことすごく思い出して、すごい罪悪感で思い出した…」そこに伴っていたのは、「罪悪感」であった。指導者としての「今の自分自身」の思いが背景に広がる中で、指導者の思いなど何も知らずにいた学生としての自分の振る舞いが立ち現れたことが伺われた。【学生のこころ、指導者のこころ】参加者の内に立ち現れた「自分自身が学生だったころのまなざし」と「今の指導者としてのまなざし」は、双方のこころを表現することを可能にした。「だから笑っちゃったりしてた子もできないことが恥ずかしくて笑ってたのかなとか思うと、結局それでいつか自分が実際やる側になったときに、私、あの演習のときふざけちゃったなっていうのをこうやって思い出す日が来るのかなって思う」と語られたように、かつての自分が「できないことが恥ずかしくて」笑っていた姿が重なる。そして今、そのことに気が付いた自分がいるように、この学生もまた「気が付くときがくる」ことを信じてみようという気持ちが芽生えていた。【捨てる活かす】時を経た自分自身との対話は、目の前の学生との対話であり、今の自分自身の在りようを信じるように、目の前の学生の可能性を信じることに繋がっていた。「なんか『自分のときはああだったのに』っていう思いがほんとに捨てれた研修だった」…「じゃあこれから活かせる、活かすには自分はどうしたらいいのかなって考えられるようになりました」。学生だった自分自身と目の前の学生が重なり合うなかでの参加者の内側での重層的な対話は、参加者のなかで「捨てる」、つまり、問いからの解放という側面があり、解放されたからこそ、活かすという次のステージに向かうことができたと推測された。c.考察-学内演習見学の意義-今回の結果からは「かつて学生であった自分と再会を果たすことが、目の前の学生への理解に繋がる」というテーマが浮かび上がった。そのプロセスは、印象的な出来事から始まり、問いが生まれ、その問いを抱え続けるなかで行われたリフレクションが大きな要素となっていた可能性がある。かつて学生だった自分を思い出すのは、一見簡単なことのように思われるが、「自分自身の体験において実感を伴いつつ」かつてそうであった自分と再会を果たすことが意外と困難であるのかもしれない。教員は、日常的にアクチュアルな学生の在りように接し、自らの体験と重ねあわせる機会も多い。しかしながら実習という特殊な場におかれてた学生としか接する機会のない臨床の指導者たちが、自らの学生体験を想起できる機会はあまりない。学内演習見学は、「かつて学生であった自分」を身体感覚とともにふと浮かび上がらせるきっかけをつくることができる可能性がある。なぜなら演習の状況そのものが、過去の自分を再現させやすい要素が多いからだ。自分も教わった実習室での身なり、ベッドメイキングや、鑷子の使い方など同じような枠組みながら、しかしそこには必ず「ずれ」がある故「違和感」が様々な感情となって現れやすい。但しその見えた「ずれ」は、現在の自分の在りようである「指導者」のまなざしが色濃く影響する。まずは「そのまなざし」によって選択された体験が84