ブックタイトル平成28年度「学校法人日本赤十字学園教育・研究及び奨学金基金」教育研究事業報告書

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概要

平成28年度「学校法人日本赤十字学園教育・研究及び奨学金基金」教育研究事業報告書

る12。国連事務局や専門機関・基金・計画はそれぞれ独自の管理・財政システムを持っているために、国連システム全体が情勢の変化に機動的に対応するのを困難にしているとされる。第4に、戦略・技術評価の内容とミッションに与えられる任務や規模との間にギャップをもたらす政治的要因が挙げられている13。つまり、事務局各部局間や加盟国間の政治的駆け引きによって、戦略・技術評価で示された勧告が軽視され、結果的にミッションに与えられる任務や規模が現地のニーズに合致していないと主張している。ブテリが提示した4つの要因のうち、本研究との関連性が最も高いのは第4の「政治的要因」である。前項で述べたように、評価・計画立案過程にはDPKO、DPA、OCHA等の国連事務局、安保理、国連専門機関・基金・計画、UNCT等、多くの主体が関与する。しかし、その中でも、決定的な影響を与えるのは安保理である。従って、以下では、国連ソマリア支援ミッション(UNSOM)を事例に、主に安保理が同過程に与える影響について考察する。尚、事務総長によるIAPの承認(2013年4月9日)は、UNSOMの設立を承認した安保理決議2093(同年3月6日)より後に行われているが、IAPとそれ以前の指針であるIMPPとの間には手続き上に大きな変更点はないため、UNSOMを事例として採用することは妥当と考えられる。1ソマリア内戦の経過ソマリアは1960年に建国されたが、氏族間の対立が絶えず続き、これまで国連を中心とした国際社会は同国に軍事、政治、経済、人道各分野の介入を行ってきた。1990年代前半、内戦の激化に直面し、国連は平和維持部隊を派遣したが、現地武装勢力と対立し、氏族間の和解や武装解除等の当初の目的を達成することなく、1995年3月に撤退した14。UNOSOMⅡの撤退後、国連は「維持する平和がない」ソマリアに軍事的関与を控えてきたが、政治プロセスへの関与は継続してきた。1995年4月15日、国連はSPMとして国連ソマリア事務所(UNPOS)を設立し、氏族間の和平と国家建設を推進してきた。国連や周辺諸国の仲介により、ソマリアには2000年に暫定国民政府(TNG)、2004年には暫定連邦政府(TFG)が設立されたが、いずれの政府も脆弱で、汚職や買収選挙等が横行し、国民から正当政府と見なされなかった。TFGの設立と期を同じくして、ソマリア国内では中南部を中心にイスラム勢力が台頭する。TFGは米国やエチオピアからの支援の下、2007年に台頭するイスラム法廷連12Ibid, pp.12-13.13Ibid, p.13.14国連は1992年4月に停戦監視を主要目的に第1次ソマリア活動(UNOSOMⅠ)、さらに同年12月には人道支援活動の安全な環境を確保するために米国主導の総合タスクフォース(UNITAF)の派遣が承認され、同国の治安は一時的に回復した。1993年3月にはUNOSOMⅠの後継として、第2次ソマリア活動(UNOSOMⅡ)を設立し、氏族間の和解、武装解除、警察の再建等、軍事・政治部門も含めた幅広いマンデートを付与したが、現地武装勢力との対立が激化し、パキスタン兵24人が殺害された。最終的に、UNOSOMⅡは1995年3月に撤退することになる。20